教えて!練馬の名所、「石神井城跡」で開かれるイベントを紹介

2016年10月14日

かつて東京にあった城といえばなんといっても江戸城ですね。真っ先に江戸城が思い浮かぶ人がほとんどだと思いますが、逆に江戸城以外の東京にあった城と言われて、すぐに名前を言える人は少ないと思います。東京は世界的に見てもビルが密集した大都会です。かつての城跡を偲ばせる跡は少なくなっています。しかし調べて見ると以外と東京にも城跡があるようです。八王子市にあった八王子城、滝山城、世田谷区の世田谷城、大田区の大森城など大小さまざまな城跡があるのです。

多くの城を攻撃、落城させた太田道灌

戦国武将で「太田道灌」という人物がいます。東京の歴史を勉強する時には必ず出てくる人物名です。しかし太田道灌と言えば「江戸城」を築き、江戸城の城主であった人物として有名であり、城を落城させたというイメージは無いかもしれません。太田道灌は永享4年(1432年)誕生で当時関東地方で勢力を誇っていた上杉家の家臣の家系に生まれました。道灌は室町時代に関東地方で起った享徳の乱(1455年〜1483年)と呼ばれる内乱において活躍した人物であり、城を築く建築家ではなく、関東地方で活躍した戦国武将の一人なのです。ですから関東地方にはあちこちに道灌が落城させた城や、築いた要塞、城などの拠点が残されています。

練馬区内に残る石神井城跡の伝説

練馬区内にもいくつかの城跡が残っています。現在のとしまえん一帯には練馬城跡があり、上石神井には愛宕山塁と呼ばれる跡があります。この愛宕山塁は太田道灌が築いた攻撃の為の城です。ではその道灌は何を攻撃したのかと言うと当時この地域に勢力を誇っていた豊島氏の城である石神井城です。その石神井城があった場所こそが現在練馬区民の憩いの場として親しまれている石神井公園です。公園の一角には当時の事を記した石碑が立っています。道灌の石神井城攻めの時、豊島氏の城主であった豊島泰経とその娘の照姫は追い詰められ城の後方にあった三宝寺池に身を投げて自害したと言われています(諸説あり、城を捨て横浜方面にまで逃げたという説もあります)。その為、三宝寺池には照姫の霊が出るとか、豊島泰経と一緒に池に沈んだ財宝があるといった伝説も残っています。

照姫と歴史を偲ぶ石神井照姫まつり

この悲しい伝説を今に伝えるのが「照姫まつり」です。照姫まつりでは一般公募により選ばれた地域住民約100人が豊島氏一族に扮し、石神井公園駅から石神井公園までを時代行列としてパレードします。パレードは毎年多くの見学者もあり、公園には出店もあり大変な賑わいになります。パレードの中心を努める豊島泰経役、奥方役、照姫役の三役に関しては、まつり開催当初は著名人や役者さんでしたが、最近ではオーディションで決定するので一般の方にも役を手に入れるチャンスがあります。当日はパレード以外にも数箇所にステージが設けられお囃子、踊りなどが披露されますし、子供達によるステージや大道芸和太鼓演奏など各種の出し物があります。毎年地域住民が楽しみにしている一大イベントとなっています。

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